15世紀から続くプジョー家を工業へと転身させた人物が、ジャン = ピエール・プジョーである。父の営む製粉業から製鉄業へ転換。その後、息子のジャン=ピエール二世とジャン=フレデリックがPeugeot Frères Aînés et JacquesMaillard-Salins(プジョー兄弟とジャック・マイヤール・サランの会社)を創立し、時計用の部品や工具などの製造を行った。
ジャン = ピエール・プジョーの孫であるアルマン・プジョーが、パリの万国博覧会にて「プジョー」のブランド名を始めて冠した蒸気を動力とする三輪車を披露した。
ディオン・ブートン・エンジンを搭載したプジョー最初のモーターサイクルを、第1回パリモーターショーで発表。
マン島ツーリストトロフィの2気筒クラスでレム・ファウラーの駆る、プジョー製エンジンを載せたノートンが勝利をおさめる。
レース用オートバイの生産にも力を注ぐプジョー。この年、122.49km/hの世界最高速記録を樹立。
P515 グランスポーツ500cc はボルドールでの耐久レースでは2800km以上もの走行、平均最高速118km/h 以上を記録。ツール・ド・フランスなどでも勝利をおさめ、3つの世界記録を樹立している。
プジョー203(自動車)を想起させる、パネル化されたボディ、トランクを前面に装備した、プジョー初のスクーター「S55」が登場。
シングルアームサスペンションを採用したスポーツモデル、スピードファイトを発売。スポーツスクーター市場を席巻した。
50 年代に登場した、プジョー初のスクーター「S55」にインスパイアを受けた新しいスクーター「ジャンゴ」の発売を開始。スタイリッシュで新しいモビリティの可能性を広げた。
プジョーが生まれた場所であるパリ・モーターショーにおいて、歴史的モデルから最新EVまで各年代のプジョーによるパレードを実施。120年におよぶ歴史と新たな時代の始まりを感じさせた。